~看護大学の休学→退学を経て~私から伝えたい「人生を進める第一歩」

※このページはPRを含みます。
さやだんご
看護学校に通っていたすぎみなさんに寄稿頂きました。

こんにちは、ライターのすぎみなです!

img_6688-1024x972-min

看護師を志して、看護大学に進んだあなた。実際に勉強してみて、どんなことを思っていますか?ずっと勉強したかったことだから楽しいと思ったり、勉強してみたら違うことが見えて切なくなったり。

「看護師になりたい」という気持ちがずっとあったからこそ、自分の内に生まれる色んな気持ちとの葛藤。うまく行かなくて、本当に自分は看護師になりたいのか、分からなくなることもあるでしょう。やりたかったことなのか不安になって、勉強が手につかないことも少なくないですよね。

でも何かはしないと進めないので、「続ける」「休学」「退学」という選択があります。どれも立派な選択であって、どれを否定するものでもありません。

私は「休学」してから「退学」という選択をしました。私はこの選択に後悔はしていません。この記事に私の休学、退学に対する葛藤と考えをまとめました。私の経験があなたの人生が進む第一歩になったら嬉しいです^^

看護の道を志したきっかけ

私は幼い頃から「看護師」という職業に憧れていました。小学生の頃におじいちゃんが入院してから病院に行くようになり、その時に「看護師」という存在を知りました。

看護師さんがおじいちゃんに笑顔で接している姿、真剣な目でおじいちゃんのケアをしている姿、そんな姿がかっこいいと、素直に思ったのでしょう。

おじいちゃんのお見舞いに行くたびに看護師さんを見れることが嬉しかったです。

その頃から「看護師」が私の将来の夢でした。

「看護師」に対する気持ちは変わらず、大学受験の年になりました。

その頃はおばあちゃんの入院があり、小学生の頃に見ていた看護師さんが、より自分に近い視点で見れました。

それまで「憧れ」だった看護師。自分が働くとしたらという視点で見れて、看護師さんの大変な面も見ました。

それでも、ベットから動けないおばあちゃんをこの目で見て、『私がおばあちゃんの看護師になりたい』と強く思いました。

それからの私の夢は「お世話になった地域で看護師として貢献する」となりました。

進学も迷わず「看護」。無事に看護大学に受かり、看護を学び始めました。

看護大学「休学」に至るまでの経緯

4fe508ecc4958cd244e93e1344385fda_s-min

1年目は楽しく、看護を学んでいました。ずっと学びたかった看護を学べて、毎日が充実していました。

しかし勉強が進み知識が専門的になればなるほど、私の思っていた看護に違和感を抱くようになりました。

積み重なった違和感は「本当に自分は看護師になりたいのか?」という疑問になり、なかなか解決が出来ませんでした。その疑問と葛藤し続けた結果、「休学」を選択しました。

私が「休学」した経緯をお伝えします。

学校に行けなくなった

「看護師は患者の命を預かっている」そのことは分かっていましたが、どんどん増えていく知識の量に唖然としてしまいました。

私はただ純粋に「心に寄り添う看護」を求めていたので、知識とか情報とか、頭で考えるということがなかなか受け入れられなかったのです。

自分が思っていた看護との違いを感じ、看護を学ぶことに対して気持ちが乗らなくなってしまいました。

学校へ行っても授業に身が入らず、学校に行くことの意味も見失い、学校に行かなくても、気持ちが晴れることはありませんでした。

友だちに話す

学校に行けなくなった私を、学校の友だちは心配してくれました。「何かあった?」とか「元気?」とか、その言葉が本当に嬉しかったことを覚えています。

私の今の気持ちを話すと、友だちも同じ気持ちであることが分かったりもしました。

「思っていた看護との違い」は友だちも感じているけど、それでも看護を学んでいる友だちは凄いと思いました。

でも『友だちは頑張れているのに私は頑張れない』と、また学校に行けなくなりました。

この段階で、私は「退学」を考えていました。周りの友だちのように頑張れないし、自分が本当にやりたいことなのか自信が無かったし、とにかく逃げたかった。

そんな私に、友だちは「休学」を勧めてくれました。

『今すぐに看護が違うと決めつけないでいい』と教えてくれて、私の視野が広がりました。看護の友だちはその優しさのまま看護師になってほしいと、強く思いました。

親に話す

私の変化に気づいた親にも、自分の気持ちを話しました。でも私はひとに自分の気持ちを話すのが苦手で、親なのになかなか伝わらず。

今までこんなにも自分の強い気持ちを持って、選んだ道を変えることが無かったのもあり、全然うまく伝わりません。

親も、決めるのは早いと「休学」を勧められました。看護の道への決意を変える選択だったので、親との対話は大変でした。自分の思いは変わりませんでいしたが、最後は「休学」という選択でまとまりました。

先生に話す

私の状況を心配してくれた先生もいました。私が思い悩んでいることに対して「でもちゃんと自分で考えていて偉いね」と言ってくれたことがとても嬉しかったことを覚えています。

自分の想い、自分のことを話した親の想い、その全てを聞いてくださって、それに対しの先生の想いを教えてくれたり。

どういう気持ちがあってどこに向かいたいのか、しっかりと私自身と向き合って聞いてくれました。大学にそのまま居て欲しいなんて言われなかったし、本当に私自身のことを聞いてくれました。

「休学」と決めるには学校側に「休学届け」を提出しなければなりません。「休学届け」を提出するには、私と親と先生、三者面談が必要です。

なので3人で話す機会を設けて話しました。自分の想いと親の想いと先生自身の想い、3つの思いがあって、その中からそれぞれ意見を取り入れて決めるという事が難しかったです。

2,3回そういう機会を設けて、最後は「休学」という形でまとまりました。

休学するにあたって葛藤したこと

03db761c90b398e060975222ef0bba3b_s-min

私が「休学」を決める上ではたくさんの葛藤がありました。もちろん自分の思いだけでは進めないことでもあったので、葛藤することばかりでした。

自分の目指すべき姿とのギャップ

学校に行った友達は、みんな看護の道をひたむきに目指していたけど、自分はそうでなかったことがまず悲しかったです。

看護師に進むみんなの姿が自分の目指す姿でもあったので、そうなれない自分が苦しかったですね。

それでも私はその場で頑張ることができなかったので、私が頑張れることを休学中に見つけようと思えました。みんなと目指すものは違ってだけど、そのことが自分を奮い立たせることにつながりました。

親との意見の食い違い

この点においては現在も進行中で葛藤中です。一般常識的に1つのことをやり抜くのが正しいと思っています。

なので私のように1つのことを続けられないとなると、社会で上手くやっていけないレッテルを貼られるかもしれません。親からもそんな風に見られてしまうでしょう。

でも1つのことを続けられない人もいます。疑問を持って進んで「本当にこれでいいのかな、違う道もあるんじゃないかな」と思う人もいます。

1つのことを続ける人、いろんな道を試してみる人、私は色々な選択肢があっていいと思ってます。その部分で親とは批判しあってしまいました。今でもそれは変わっていません。

お互いに意見の食い違いはありますが、批判しあうではなく、歩み寄ってみることが大事だと思います。お互いの意思をしっかりと伝えた上で、選択が出来ると良いですね^^

入学費用や休学にかかる費用

私は奨学金ではなく親が学費を出してました。看護は他の学科と比べて学費が高い学科です。受験する時に大体どれくらいのお金が必要なのか少しはわかっていました。

でも200万、300万がどれくらいのお金なのか全くわからずに看護の道を決めていました。奨学金という制度も知らなかった私は無知なことが多かったです。

なので正直にお話しすると休学にかかる費用はその時しっかりと分かっていませんでした。でも知りませんでしたという言葉で片付けられるものでもないんだなと思ってます。

なのでもし休学や大学を考えているあなたは、費用の面はしっかり考えてほしいなと思います。これは完全に私の失敗談なので、費用の面も理解しておきましょう。

でも多分、難しいことな気もします。奨学金を払ってる方を考えると、私は本当に恵まれています。頭が上がりません。

その面に関しては親に感謝し、今後恩返しできるよう成長しなきゃと思っています。

休学してやったこと

私は「自分の視野を広げて、自分は何をすれば頑張れるのか?」

ちょうどその頃、昔からの友達が旅館のお仕事をしていて、直感で「私もやってみたい」と思いました。

せっかくだから視野を広げるために、地元の長野や東京ではなく、もっと違う所の旅館で働いてみようと思い、いろいろ調べていました。

またちょうどその頃、直感で、「瀬戸大橋に行きたい」と思いました。なので、『じゃあ瀬戸大橋の近くの旅館で働いてみよう』と決めました。

そして、3ヶ月間旅館で働くことになり、仲居業を経験しました。お客さんと関わることがとても楽しく、仲居のお仕事はやりがいがありました。

私が看護では出来なかったことを、仲居の仕事ではできたので、私に向いていることが見つかって凄く嬉しかったです。

看護は頭で考えることもたくさんでしたが、仲居のお仕事では心を通わせてお客様と接することに集中できたので、これが私のやりたいことだなと素直に思いました。

3ヶ月間、仲居として働き、初めて楽しいと思える仕事に出会えたし、また色んな方に出会いました。本当に色んな方に出会って、とても視野が広がって、私だけじゃなく…みんな悩みながら生きているんだなと実感。

休学中に私が出来たことは、やりたいと思ったお仕事をやってみることと、色んな人生を歩いてきた人と関わるということが休学中に出来ました。

看護大学「退学」を決断した理由

3カ月間、香川県で仲居として働いてみて、自分のやりたいことを自分の出来ることが見つかりました。

この後は学校に戻ろうか、退学しようか、さんざん悩みました。でもお客様の笑顔を見たり一緒に働く方を見ると、私この道でもいいんじゃないかと思うようになりました。

退学したいと言うよりも、私はもっと自分の人生に責任を持てる選択があるはずと考え、その結果、退学という形になりました。

その後も親、学校に伝えるのは苦労しましたが、私が責任の持てる人生を見つけたので、その意思を伝えるのみでした。

その先の人生がどう進んでいくかは分からないけど、でもやりたいことやって自分が輝いていると思える事だったら頑張れるんじゃないかなって思っています。

退学って、そんなに批判されることですかね。自分の道を自分で決めることの何がダメなんだろうって思います。

もちろん迷惑をかけているのは分かっていますが、やりたいくないことをやっていきにくい人を見るよりも、やりたいことをやって輝いてる人のことを見たくないですか。

私は絶対後者なので、素直にやりたい事はやっていいと思います!!

退学したその後

退学した後も仲居の仕事を続けました。素直に続けたいと思ったし、その仕事に責任を持って働きたいと思ったからです。次のお仕事の場所は大分県の小さな旅館でした。

大分県に行った後もそれなりに、大学を辞めた事は正しかったのかなと何度も迷いました。仕事中も身が入らず、このまま看護を続けていれば良かったのかなあってもう何百回も思いました。

でもそこで出会った温かな人たちを見ると、私はこの選択をして良かったなと最後には思いました。

退学したからってゴールでも何でもありません。通過点であってその先も順風満帆なんてこともありません。でも、退学したことを正解にするために精一杯生きることができます。

選択は全て自己責任です。誰かに答えを求めることも誰かに頼ることも依存することもしてはいけません。自分でしかその選択は正解にできません。

でもたまには、自分の選んだものに自信を失くしたり、後悔したりもあるでしょう。私自身も、何度も思いました。

でもどうもがいても自分の道は自分にしか歩けない、と強い気持ちを何度も確認するしかないと思います。自分の歩んでいる道に不安を感じたら、過去にいる自分と未来の自分と手を取り合って今の自分を進んでいきましょう^^

まとめ

あなたは今どう感じていますか?

不安?心配?大丈夫かなぁ、間違ってないかなぁ、たくさんの気持ちを抱えていると思います。

でもあなたは、かけがえのないただ1人の人間です。どうかあなただけの人生を歩んでいってください。私はそんな背中を押したいし、一緒に手を取り合って歩いていきたいです。

看護って多分ほんとに優しい人が集まっています。なので本当に優しい人には辛いお仕事かなとも思います。そんなふうに看護を決めた自分の道に疑問を持っているということもとても大事です。

きっとたまに疑問を持ちながら進むことで、もっとより良い自分の人生が開けると思います。

自分の進んでいる道に疑問を少しでも感じたら、一度その疑問に真っ直ぐにぶつかってみて良いと思います。

疑問を持ったまま進むと、もやもやしちゃって目の前のことに身が入りません。せっかく疑問にぶつかったなら、真剣に向き合うことで、また違うことが見えるはずです。

人生を進んでいくのは簡単なことじゃないですよね。私は退学してからも色んなことにぶつかっています。

でも、でもね、その葛藤全てを乗り越えた先に見える景色はとっても、綺麗なものなんです。だからどうか諦めず、曲げたりせず、自分の心に正直に進んでほしいなと思っています。

最後になりましたが、心は決まりましたか?この記事が少しでもあなたの心に届き、何か少しでも一歩を踏み出すきっかけとなれれば幸いです。

無理はしないで、自分らしい選択をしてみて下さいね^^応援しています!